そうなんです。休憩無しで後半に突入しました。
今回は普段我々がモダンピアノで聴き慣れている作品を様々な時代の楽器を通して演奏し、たくさんの事に気づかされました。テクニック的なことは前回で記述したとおりですが、今回最も大きなテーマとなったのは「様式」です。ハイドンはハイドンらしさ、モーツァルトはモーツァルトらしさ、ベートーヴェンはベートーヴェンらしさ・・・でも、「らしさ」って何?
「らしさ」という部分はとても注意深く理解しようとしなければなりません。とくに!鍵盤楽器ではなおさらです。見解の狭い「らしさ」を勉強してしまうと、その表現の幅が限りなく浅はかなものになってしまいます。(この件に関して細かく説明するとなると論文がひとつ出来上がるぐらいの量になるので省きますね)
バッハやハイドンの作品をモダンピアノで演奏するときに、「これは当時チェンバロで演奏されていたものだから、あまりロマンチックに演奏しすぎないように」という非常に残念な考えを未だ頻繁に耳にするのです。当時の楽器の響きを参考にするのは否定しませんが、これを「非音楽的、機械的」に演奏されるのは間違いです。当時のチェンバロやフォルテピアノがいかにロマンチックな響きであり、現在活躍している古楽器奏者たちの演奏がいかにロマンチックなものであるか・・・。世界的な芸術家であるアルフレード・ブレンデルは対談の中で興味深いコメントを残しています。中から二つ抜粋。
1)バッハの〈インヴェンションとシンフォニア〉ですら、バッハ自身による序文に指摘があるように、歌うような演奏のために書かれています。ようするにバッハは、古い楽器で歌うように弾くことができるのを知っていたわけです。
2)作曲家の音を追及するときは、ピアノ曲ではない別の作品をまず参考にします。管弦楽曲、室内楽曲、声楽曲、そしてモーツァルトの場合とくにオペラからインスピレーションを得ます。そうした作品をもとに、今度は作曲家がこれらの素材からピアノのために何を創造したのかを考えます。以前にも申し上げましたが、作曲時期に所有しているピアノの響きだけをもとに書かれているピアノ曲というのは、ほとんどありません。
※マルティン・マイヤー著【対話録「さすらい人」ブレンデル、リストからモーツァルトへの道程】より
しかも、鍵盤楽器が日々変化していった時代であると言うことを考慮すればなおさらです。自己の表現というのは楽器という枠には収まりきるものではなかったのですね。
参考までにこちらを聴かれてはいかがですか?なかなかいい。
-Mozart Adagio in D-Dur KV284 Robert Hill, fortepiano-
-J.S.Bach Sinfonia in g BWV797 Robert Hill, fortepiano-
この長い歴史の中で人間の感情などはどの様な変化があったのだろう?変化さえあったのだろうか?たかが300年程度の時間なんていいうのは、人類の歴史からみればほんのわずかな時間なんだ。誰だって大切な人を失えば悲しいし、きれいな花を見ればきれいだと思う。こういう気持ちは人種や文化、そして時代を超えてもそう変わるものではないと思う。










